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長野地方裁判所諏訪支部 昭和42年(ワ)40号 判決

原告

中崎義幸

ほか三名

被告

松田奎信こと曺奎信

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告は、原告中崎義幸に対し金四五万円を、原告中崎正義に対し金五〇万円を、原告小平さかえに対し金五万円を、原告小平裕美に対し金三〇万円を、および右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四二年六月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めその請求原因として、

一、被告は、昭和三九年一月一〇日午後七時ごろ、茅野市木沢一八〇番地、有料道路茅野、蓼科線の県道上において、右道路の管理者はもとより、道路交通法所定の公安委員会の許可を得ることなく、七トン積ダンプカーに満載してきた礫約七立方メートルを、右道路上に堆積したまま放置し、もつて右道路における交通を妨害したものである。

二、原告中崎義幸は、自から所有する普通自動車を運転し、前同日午後九時二〇分ごろ、蓼科方面から茅野方面へ向い、制限速度内である時速約六〇キロメートルで前記場所に差しかかり、その直前、対向して来た自動車の関係から、自己の運転する自動車のヘツドライトを減光したものであるが、これがため同所において道路上に前記のごとく被告が放置していた礫の発見が遅れ、これに乗りあげて、ちようど対向進行して来た訴外柿沢武司の運転する自動車と衝突したものである。

三、その結果、双方の自動車が破損し、原告中崎義幸は右足大腿骨々折等約二週間の傷害を受け、またこれに同乗していた原告中崎正義は肋骨々折、肺臓損傷による一か月半の傷害を原告小平さかえは頭部打撲傷を、原告小平裕美は左目および顔面の打撲偽による二か月の傷害をそれぞれ受けたものである。

なお、衝突した対向車の運転手である訴外柿沢武司は右肩部脱臼による一か月の傷害を、また同乗していた同人の妻訴外柿沢キヨ子は右手親指第一関節脱臼により二週間の傷害を受けたものである。

四、ところで、右交通事故は、被告の不法行為が原因となつて発生したものである。すなわち、被告が、本件道路が有料自動車道であるから、礫を置くこと自体が不法であつて、これにより右道路上の交通を妨害したものである。被告のかかる不法行為がなければ、本件事故は発生しなかつた。かりに礫を置くとしても、道路管理者および公安委員会の許可を得て、夜間においても判明できるような標識等をなさなければならないものであるところ、被告はこれを怠つたため、本件事故が発生するに至つたものである。

また、本件道路は有料道路であり、原告中崎義幸にとつては、通常かかる障害物の存在は予想しないところであり、自動車の速度も通常の道路よりも早く、本件事故直前に対向車があつて、原告中崎義幸の車は減光していたものであるから、右礫の発見は極めて困難な状況にあつた。

五、かりに、原告中崎義幸に前方注視義務違反という過失があつたとしても、礫が放置されていなければ、前記事故は発生しなかつたものであり、本件道路が有料自動車道であることを考えれば、被告は交通事故の発生を当然に認識できたものであり、この点に被告の過失が存在し、そこで被告の行為と本件事故とは相当因果関係があるというべきである。

六、ところで、右交通事故によつて、原告等が蒙つた傷害であるが、

(一)  原告中崎義幸について

治療費 一万九〇〇円

休業補償費 一万一、〇〇〇円

慰藉料 一〇万円

車両損害金 一五万円

合計金 二七万一、九〇〇円

(二)  原告中崎正義につき

治療費 五万二、四〇〇円

休業補償費 六万七、五〇〇円

慰藉料 三〇万円

合計金 四一万九、九〇〇円

(三)  原告小平さかえにつき

治療費 七、〇〇〇円

慰藉料 一〇万円

合計金 一〇万七、〇〇〇円

(四)  原告小平裕美につき

治療費 二万二、〇〇〇円

慰藉料 五〇万円

合計金 五三万二、〇〇〇円

なお、同女は当時満六才であつたが、左目付近に約三センチメートルの切傷による後遺症が存在している。

(五)  さらに、原告中崎義幸、同中崎正義は本件事故の相手方である前記柿沢武司、柿沢キヨ子から長野地方裁判所諏訪支部に、民法七〇九条並びに自動車損害賠償保障法第三条等に基く損害賠償として、金六八万九、七〇〇円を支払え、との訴訟を提起されたが、金三五万円を支払つて裁判上の和解が成立したものである(右は同原告等の連帯債務である)。従つて右金額も被告において支払う義務のある向保告等の損害である。

七、よつて、原告等は被告に対し、前項(一)乃至(五)の損害のうち、請求の趣旨記載のごとき金員の支払を求めるため、本訴請求に及んだものである。

と述べ、

被告主張の時効の抗弁事実を否認する。すなわち本件事故は、昭和三九年一月一〇日発生したものであるが、原告らが事故現場に礫を堆積したまま放置した者が被告であることを知つたのは、同年一月二三日のことであり、そこで、翌日蓼科有料道路管理事務所に対し、被告が道路交通法第七九条の協議をなしたか否かを問いただしたうえ、原告等は昭和四二年一月二〇日内容証明郵便によつて被告に対し催告をなし、右書面は被告に遅くとも同年一月二二日に到達した。そこで原告は被告に対し、昭和四二年六月中に、本件訴訟を提起したのであるから、消滅時効は完成しなかつたものであると述べた。〔証拠関係略〕

被告は、主文と同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁並びに抗弁として、

一、被告が、昭和三九年一月一〇日午後七時ごろ、茅野市米沢一八〇番地、有料道路茅野、蓼科線の県道上において、管理者および公安委員会の許可を受けないで、礫を置いたことは認めるが、その程度は、原告主張のように七立方メートルのものを道路上に堆積したのではなく、幾らか道路上にこぼれた程度のものであり、量は、はつきりしないが道路上にかかつた分は一メートル幅位であつて、これが右道路における交通の妨害となつたことは否認する。

二、本件事故は原告の過失により生じたもので、被告において右のごとく放置した礫の存在が原因となつたものではない。

三、原告等の損害はいずれも知らない。

四、かりに、被告に損害賠償義務があるとしても、本件事故が発生したのは昭和三九年一月一〇日であり、原告等が、本件事故の加害者が被告であることを知つたのは、事故の直接か、または遅くとも同年一月二〇日以前であるところ、被告が原告等から最初に本件事故に関し損害賠償を請求されたのは、昭和四二年一月二〇日付内容証明郵便(到達は同年一月二二日ごろ)によつてなされたものである。よつて、右損害賠償請求権はすでに時効により消滅したものというべきであると述べた。〔証拠関係略〕

理由

一、原告主張の、原告中崎義幸が昭和三九年一月一〇日午後九時二〇分ごろ、普通自動車を運転し、茅野市米沢一八〇番地有料道路茅野、蓼科線の県道を、蓼科方面から茅野方面に向つて時速約六〇キロメートルで進行中、同所において対向して来た訴外柿沢武司の運転する自動車と衝突したことは、被告において明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。

そうして、〔証拠略〕によれば、右交通事故(衝突)の結果、原告中崎義幸と訴外柿沢武司が運転していた双方の自動車が破損し、原告中崎義幸は右足大腿骨々折等により約二週間の傷害を、またこれに同乗していた中崎正義は肋骨々折、肺臓損傷により約一か月半の傷害を、原告小平さかえは頭部打撲傷を、原告小平裕美は左目および顔面打撲症により約二か月の傷害をそれぞれ負つたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二、そこで、前記のごとき交通事故が、原告主張のごとく、原告の不法行為に起因するものか否かについて、先ず判断すべきところ、被告は、かりに損害賠償義務が肯定されるにしても、すでに時効の完成により消滅したものであると主張するので、この点から判断する。

そもそも、不法行為による損害賠償請求権は、被害者が損害および加害者を知りたる時より三年間、これを行使しなければ、時効により消滅すべきものであるところ、原告等において、初めて被告に対し本件の損害賠償を請求したのが昭和四二年一月二〇日付催告書(内容証明郵便)によるものであつて、これが被告に同年一月二二日ごろ到達したことは当事者間に争いがなく、また本件訴訟がその後の同年六月二三日に提起されたことは、本件記録に徴して明らかであり、これらがいずれも本件の交通事故発生の日から、すでに二年以上を経過している事実も当事者間に争いがない。

そこで、被告は、右時効の起算点として原告等において加害者たる被告を知つたのは本件事故の直後か、少くとも昭和三九年一月二〇日以前であつた旨主張し、原告はこの点について同年一月二二日であつた旨主張するので考えてみるに、〔証拠略〕によれば、訴外伊藤信がその所有する工場の近所である茅野市米沢一八〇番地所在、有料道路の蓼科、茅野線の県道に面して家を新築するため、昭和三八年一〇月ごろその建前をなし、その後乾燥のためにしばらく日を置いたうえ、右家屋の玄関に使用するために、訴外伊藤が当時茅野市塚原で建材業(砂利等運搬業)を経営していた被告に対し、かねてばらす(礫)の運搬を依頼していたところ、本件事故当日である昭和三九年一月一〇日の夜、被告がその所有するダンプカー(長野一せ四三四六号、訴外小池が運転)でばらすを運搬して来て、同所にこれを降したこと、そうして右事故の実況見分が事故の翌日である同年一月一一日の午前中、警察官によつて実施され、右実況見分の際には、原告中崎義幸、訴外柿沢武司が立会い、そのころ道路上にばらすを誰が置いたのかが話にのぼつており、同日ごろ、原告中崎義幸がばらすの置かれていた家の訴外伊藤信を訪ねて、同訴外人に対し「ばらすを置いたのは誰か。」という意味のことを尋ね、これに対し同訴外人が同原告に対し「塚原の松田です(または塚原の松田商店です)。」と答えたことが認められ、右認定に反する〔証拠略〕の一部(経緯とその日時の点について)は、前提各証拠に対比してたやすく措信することができない。なお、〔証拠略〕をもつてしても、右認定を覆すに充分でなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そのうえ、右各証拠(措信しない部分を除く)によれば、被告を特定する住所として指摘された茅野市塚原(当時、被告は茅野市塚原三八一〇番地に居住)と言えば、茅野市内の一部落であつて、戸数も少く、同部落では被告宅だけが「松田」の姓を有していること、また被告は同部落でかつて金属屑商やりんごの卸商を営んでいたばかりでなく、事故当時には、「松田商店」という名前入りのトラツク一、二台を所有して土建関係の砂利運搬業を営んでいたものであり、一方原告中崎義幸は茅野市に近い諏訪市内に居住していたが、昭和三八年ごろから、茅野市塚原において父の原告中崎正義名義で青果業を営み、それ以来現在に至つていることが認められ、右認定に反する証拠はなく、これと前記認定事実をあわせ考えるならば、原告中崎義幸は、訴外伊藤信から、ばらすを置いた者の特定につき「塚原の松田です。」旨の返答を聞いたことにより、民法第七二四条所定の「加害者を知つた」場合に該当するものと解するのが相当であり、さらに〔証拠略〕により認められるように、その余の原告二名はいずれも同原告の運転する自動車に同乗していたものであつて、ことに原告中崎正義は同原告の実父で、原告小平さかえは同原告の叔母で、さらに原告小平さかえの二男が訴外小平幸弘、その妻が小平定江で、同人らが原告小平裕美の父母(法定代理人)である関係や、原告中崎義幸は本件交通事故の損害賠償に関し同人らから一任されたうえ、殆んどその解決方のため法律事務所や事故関与者等の接渉にあたつていたことからして、同原告らにおいても、時効の起算点等については、原告中崎義幸の場合と同一視すべきものと考えるのが相当である。

三、以上の事実関係並びに説示からすれば、前記のごとく原告等の被告に対する昭和四二年一月二〇日付催告書に基づく本件の損害賠償請求(同年一月二二日ごろ被告に到達)は原告等において、損害および加害者を知りたる時より二年以上経過してからなされたものというべきであり、本件訴訟は右原告の有効なことを前提として、六か月以内に提起されたものであるから、たとい原告の被告に対する損害賠償請求権が肯定されるにしても、被告の時効の援用により、これが消滅したものといわなければならない。

四、しからば、原告の本訴請求は、このうえの判断を加えるまでもなく、理由のないことが明らかであるから、これを棄却すべきものであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 野口頼夫)

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